Code:BOXと絆ストーリーで描かれた調月リオの魅力と運営の選択【ブルーアーカイブ】

ソシャゲ

ブルアカが生んだ才色兼備で優しさに溢れ、悩み成長する愛しい貴方こと調月リオさんだが、初めてこの世に姿を現してから実に2年ちょっとの歳月を経て無事にブルアカ本編に実装と相成った。
その間、公式からの供給不足にもめげず、
数多のクリエイター様方がリオのイラストや漫画、3Dモデルなどの創作を通して火種を絶やさずその希望を紡いできてくださった。
数多のリオ好きのユーザー達がリアルネット問わずその想いを言葉にして「好き」を繋いできた。

そんな調月リオさん、やっぱり同人での活躍が増えれば増えるほど、多くの解釈が生まれ多くの表現に触れることになるのでぶっちゃけいざ実装された時にどういう表現がされるのかは非常に気になっていた。

──リオの魅力とは何か。
それはもう口にすれば何百センテンスも出せるとは思うけど、本編にあまり登場していないためにどうしても内面を知るには限界がある。
同人本での描写というのは個々人の解釈、ともすれば各々に内包されたリオへの「期待」の投影になってしまう。
そうなってくると、これはイデアとしての魅力にはなり得ず。なんとも難しいね…
では誰もが認める、公式から提示されているリオの魅力とは何なのか
世間共通認識としてまず認められていたのは、なんといってもスタイルの良さ、これに尽きることになる。
もちろん、パヴァーヌ2章や最終編、デカグラ編を通して多からず少なからずリオの内面描写はあったわけで、

  • より多くの人が幸せになることを目指す合理主義
  • その為に自信が犠牲になっても構わないという献身的な姿勢
  • けれども理想の実現のために他者への影響も顧みない独裁的姿勢
  • それらが失敗だったと気付いたときに自己へ罪の意識を強烈に刻んでしまうといった、使命感の強さに反比例するような自愛の薄さ

これらは公式から出されているリオのパーソナリティであると認識していたけれども、
結局のところそれらは我々ユーザーがリオというキャラクターのパーソナリティを知ろうと歩み寄ることで初めて認識できるものであるがゆえにどうしてもぱっと見でも分かるその暴力的も言える超絶的なスタイルに意識を奪われがちになってしまうという話。

だからこそリオの同人というのはどうしてもセクシーな形での表現が多く見受けられた。
ただそれは当然のことでありその是非については全くもって議論の余地は無く、それも調月リオの持つ魅力の一つである。

ではそれが当たり前になった現状でいざリオが実装された時に公式はどのようにリオの魅力を描くのだろうか。
モモトークは?絆ストーリーは?メモロビは?イベントストーリーは?
内面はどのように描く?シリアス寄りに?ギャグ寄りに?先生との関係性は?

星空のように無数に存在する可能性の中で、たった一度しかない実装に際して公式がまず一番に描きたかったリオの魅力とは一体何なのか。

Code:BOXで描かれたリオの成長と可能性

4周年イベントストーリー”Code:BOX”はミレニアムEXPOというミレニアム主催の技術博覧会を舞台として、それらの裏で繰り広げられる陰謀との戦いが主に描かれたイベントであった。
ミレニアム生徒が予算のために様々な研究成果を出し物として展示したり、エキスポという形のために他学校からの生徒も一般客として参加出来るため、多くのミレニアム生徒や他学校の生徒(今回は主にトリニティ)が登場した。

そんなCode:BOXでのリオの立ち位置は、ほぼ主役といっても差し支えないものであった。
セイア、ネルが主に実働部隊として現場作業を行う裏で、司令塔として二人のサポートを行っていた。

紆余曲折あってトリニティ生徒のセイアがミレニアムの問題に対処していくことになる

パヴァーヌ2章や最終編などを通して、他者を信頼することを学び始めたリオは合理的な判断に基づいてセイアの作戦参加を認めつつ、随所でセイアやネルを労わり尊重する姿勢を見せている。
もちろん、成長途中であるが故にまだまだ他者とぶつかってしまう場面も多く描かれ、それらはこれからの課題として表現されているが、同時に他者と対話するといったAMASやアバンギャルド君やエリドゥといった機械にのみ頼らないという小さくも大きな一歩を確実に踏み出していることが分かる。

自信の気遣いに対するセイアからの感謝を受けて微笑むリオ

パヴァーヌ2章や最終編で先生や生徒たちが見せた他者を尊重する想いが起こした奇跡を目撃したリオは新しい一歩を踏み出した。
人は簡単に変われるわけではないので、失敗を繰り返す。されどもそれを受け止めてくれる「仲間」とともに進んでいく。
そのプロセスを描いたのがCode:BOXであった。

直情的で裏表のない昔ながらの付き合いであるネル
リオと同じ学園のトップという身であり自己の証明にこだわるセイア

悪い方向に進んだ時に臆せず諫めてくれ、学園の治安を維持する大局的な視野を共有し、自身の悩みを同じ目線で受け止めてくれる
ネルがセイアとリオを精神面で引っ張り、セイアとリオは互いに影響し合いながら成長していく。
ネルは裏で荒事を担当し、セイアは表舞台で調査を行い、リオはデバイスや情報支援を随時行う
3人が自身の持つ立場や能力の中で最大限の役割を全うしていた。
各組織のトップである3人だからこそ、臆せずに言いたいことは言い、諫める時は諫める。
パヴァーヌ2章で腹心以外に誰も信頼しなかったリオが等身大で他者と関わり合いながら問題に向き合っていくのがCode:BOXの素晴らしいところであるだろう。
益者三友というやつでっしゃろか。

暴走気味になるリオの心中を的確に察したうえで手を差し伸べるネルの頼もしさ


その上でどうしようも無くなった終盤では、人に助けを求める重要性が描かれた。
ネルにはC&Cや先生、セミナーなど多くの頼れる仲間がいて、かつそれをネル本人が自覚している。
だからこそすぐに相談することが出来たし、それによって事態が好転した。
このシーンでは万策尽きたとこぼすリオとセイア、状況を打開できると確信しているネルと描写が分かれており、それはリオとセイアと違ってネルが「頼れる仲間」を多く持っていることを表現している。
ここで言う「頼れる仲間」とは、物理的に仲間が数多くいるというわけではなく、それを「頼れる仲間」として認識しているか否かの違いだろう。
リオやセイアは他者に迷惑をかけないために、自己の証明のために自身や最低限の協力者だけで問題に向き合った。
一方でネルは、自身の弱さを的確に認識しており、その弱点を多くの仲間がカバーしてくれることを知っていたためにそこで二人との差がこの土壇場で形として表れたと言える。

頼れる人に頼る勇気を持つネル

確かにリオは成長している。だがそれはこのストーリーで完成するわけではなく、この先もずっと成長し続ける、そんな可能性をこのイベントでは示してくれている。
その第一歩こそがセイアとの関係であるのだろう。
最終編を通して新しい一歩を踏み出したリオに出来た初めての他学校の協力者こそがセイアである。
互いに似た悩みを持ち似た性格であるからこそ、今必要な指摘を出し合える、鏡写しのようなものと今回のイベントでは例えられていた。
そんな二人がこの作戦を通して信頼関係を築き、あまつさえ軽口を言い合い相手の為の行動を起こせるまでに至っている。
これはリオの新たな考えに基づいた行動の成果とも言える。
同じ学校の生徒たちとも上手に人間関係を結べなかったリオとセイアが成長した末に互いに尊重し合える信頼関係を築くことが出来たというこの事実は目頭に熱い。

リオとセイアとネルの相性の良さが光る場面

Code:BOXで描かれたリオの魅力

Code:BOXではリオの「成長」だけに限らない数多くの魅力も描かれた。
“ヨーヨー作戦”に始まるリオのユーモアは随所に散りばめられ、やはりリオの独創性は並々ならぬものがあるという設定が開示された。
アバンギャルド君が再暴走した際には、エンジニア部やユウカが「リオ会長がいたらすぐに解決したのに」という趣旨の発言をしており、リオが周辺生徒に信頼されていることが描写されていた。

リオ自身は過去の自分が犯した過ちからミレニアムに変える資格が無いと頻繁に口にしているが、リオの歩いてきた道は、あるいは残してきた功績は確かに他者からの信頼を勝ち取るに値するものであったということはパヴァーヌ編から一貫して語られていることだ。
ユウカは定期的に同様の発言をしていることからもリオの実力は高いと言えるだろう。
リオの実務能力はキヴォトスでも抜きんでているものがあり、それは敵勢力からも名指しで警戒されるほどであることはデカグラ編で示されたが、その実力は改心してから身に着けたものでは決してない。
リオの今までの積み重ねは他者から確かに認められているということが改めて表現されている。

絆ストーリーで表現されたリオの魅力

Code:BOXで描かれたリオは同じ目線で手を取り合って道を歩める友との出会いと成長がメインだった。
では一方で大人である先生との関わりがテーマの絆ストーリーではどうだろうか。

絆ストーリーでは、リオの等身大の子供らしさやその可愛さが描かれた。
リオは普段からスーパーの割引弁当や冷凍食品を食べており、足りない栄養素などはサプリで摂取しているとのこと。
それではダメだと先生が手作りの料理を食べさせてあげるという描写が為されている。
他にも、リオのユーモアセンスを”芸術”として肯定する話や、リオの隠れ家を掃除してあげるといった話があった。

リオはミレニアムに入った時からネルやアスナと共に学校の為に行動していたことが今回のイベントで語られていた。
おそらくは当時も使命感から様々な事態に対処出来るよう策を講じていたのだろう。
それこそまさに自分たちユーザーが知っている調月リオの最もよく見るパーソナリティであるが、
そんなリオが今まであまり見せてこなかった内面、
手作りの料理にほっこりするリオ、先生にとって大事な生徒でありたいと吐露するリオ、自身の作ってきたデザインは芸術であると自己を強く肯定できるようになって喜ぶリオ、先生に頭を撫でられてどことなく安心するリオ、
これらのシーンには等身大の子供らしさが垣間見え、大人としての先生に甘えるリオが描写されていた。

今までも見せてきた責任感ある姿や、Code:BOXで描かれた等身大の生徒として同世代の子たちと共に成長していく姿だけでなく、子供として素直に甘えられるような可愛らしさという新しい魅力が描かれたのが今回の絆ストーリーの大きなトピックだろう。

素直でなく感情をむき出しにしてしまうリオも先生との絡みならではの描写だろう

これらのエピソードからは、「自己を肯定する事」の重要性を感じ取った。
他者を信頼することに決めたリオ。だがまだ自身を赦すことが出来ておらず、それは何度か作中でも言及されている。
定期的にと言って良い頻度で卑屈になることがあるリオだが、だからこそ、先生は今回の絆ストーリーで一貫してリオの事を大事に扱っている。

料理や掃除してあげることで、リオがどれだけ大切に思われているかを伝える。
ユーモアセンスを芸術として肯定することで、自己を認められるよう手助けする。

先生はその道のプロではないのでもちろん料理は特別美味しいわけではなく、掃除もトキに負ける。
だがそれでも大丈夫であると。学習すれば出来るようになる。全ては心の持ちようというメッセージを感じた。
他者をもっと頼ることが重要というメッセージももちろん感じたが、絆ストーリーにおいては、リオが自身を肯定するために必要なエッセンスを殊更感じ取れたのは非常に趣深いものがある。

愛されるということは自身を愛することに繋がると思う

調月リオが持つ魅力と向き合った運営の選択

このようにCode:BOXや絆ストーリーでは今までとは違ったリオの魅力が数多く描かれた。
しかし、そのどれもが調月リオの内面の魅力に終始していたことは特記すべきである。
外見的魅力に秀でたリオがなぜ満を持しての実装で内面の魅力について多く描かれたのか。
それはひとえに、運営がその選択をしたからに他ならない。

リオのスタイルの良さを持ってそれを強調したメモロビを作れば、ともすれば凄いものが出来たはずだろう。
だが運営はそれを選ばなかった。
思えば運営は一貫してリオを丁寧に扱っているのだろう。
最初は悪役として登場させ、最終編では救いを描き、デカグラ編ではその能力の高さを再確認させてきた。賛否両論とはいえ、全て段階を踏んで今に繋がっている。
だからこそ、リオのパーソナリティをここで最大限発揮するために様々な角度からリオの内面を描くに至ったのだろう。

個人的な見解として、この運営の選択は非常に嬉しい。
もちろんリオの身体的魅力は特筆すべきであるが、それでも自分が人生で一番好きと言えるに足る理由はそこだけでは完結しない。
調月リオというキャラクターの複雑な内面──迷い失敗し贖罪し、それでもより多くの人が幸せになれるよう精一杯頑張る──、そんな内面に惹かれた者として。
この世でたった一度しかない初実装、初主役級イベントストーリー、初絆ストーリー。
大事な大事な一発目で“調月リオの内面の魅力について描く”という選択を、他ならぬ運営がしたという事実が本当に嬉しく感じる。
調月リオというキャラクターにはたくさんの魅力があるということを、世のユーザーに示してくれた・

おかげでこれからの調月リオの二次創作の方向性はもっと多様化してくるのだろう。
より視界が拓けたクリアな解釈をたくさん目にすることが出来るような、そんな未来がそう遠くないうちに来るはず。
それは自分自身としてこの上ない幸せだろう。

総評として、4周年に伴う一連のストーリー、Code:BOXやリオのモモトークや絆ストーリーはとても素晴らしいものだったと結論付けたい。

余談

リオの幼さや可愛さ、ユーモアや技術力サポート力、そして新たな成長と、
それら内面的魅力をこれでもかとリソースを注ぎ込んで丁寧に表現しようと試みた運営。
一方で美貌もスタイルの良さも依然として兼ね備えていながら今回はそれらがお預けされた。
これらが示すのはそう、セミナーの夏休みがいつ来てもおかしくないという話。
キムヨンハ統括P、李社長、信じてますよ…

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