石の上にも三年、でもどの石を選ぶ?

日記

おそらくは昨今の世の中では特に分断が激化、あるいは可視化されやすくなっているんだろう。
生成AI・男女・国籍・貧富…etcとネタは色々あって、そういった対立というものは題材は違えどいつの時代も普遍的に存在していたんだと思う。
AIやLGBTとかの超新星たちにも負けず劣らずで今なお現役の古株対立ネタが“世代”というわけで、

近頃の若い者は云々~~

というのは実際の経験のあるなしに関わらずシンボルとして認知されているはず。
そんなシンボルに関連して、最近とある格言についてふと考えた時があったので今回はそれをメモとして残すことにした。

石の上にも三年、その先に見据えるのは?

最近の若者は忍耐が無いという文脈でよく引用されるイメージがあるのが「石の上にも三年」だと思う。(時代が進んだ今はそこまで言われていない気がするけど)
冷たい石でも三年間も座り続けていれば温かくなってくるという話から転じて、どんなに辛くても、我慢強く続ければいずれ報われる、なんていう意味だったわけですけれども。

実際この言葉の意味するところについてはその通りだな~と思うばかり。
何でもかんでも少し手を出してすぐ次に行ってというのが実を結びづらいというのは肌感覚としても理解できるしね。
でもさぁ、それって現代人にも通用する言葉なのかい?
どんな状況におかれてもまずは三年やってみるのが良いのかい?
って考えると100%通用するとは言えなくなっちゃうかなと。
それって当人が何を目的にするかで変わらんかい?
この言葉の由来って、仏教関連で悟りを開くために行った修練が有力らしい。
人生賭けてますやん。己が最終ゴールをしっかりと定めてそこに向けて進むだけの状態ですやん。

「石の上にも三年」
正直、新しい物事を始めた時には相応の忍耐強さを持って臨んだ方が良いよね~ぐらいの塩梅でとらえる方が良いと思う。
万象に通ずるほど万能に使えるような言葉じゃないと思うわけです。

先の由来では、石の上にも三年座れば何かが見えてきて、見えたものは自身の求める道に必ず繋がるという話が前提だった。
そうであるなら、例えばやりたいことが見つからなくて、転職を繰り返す人に「石の上にも三年だぞ」って言ったところで座り続けた先で得たものは本当に当人の為になりえるの?
もちろん成り得る可能性は高いと思う。亀の甲より年の功と言われているように何事も経験が人生を豊かにするのは間違いない。
ただこれは、あくまで他者目線での話なんだよね。
もし他の石(場所)で三年座り続けていれば、この石で得たものよりももっと良い見識を積めたかもしれないと言われたらどう答える?
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
表面的にはこれしか言えんでしょう。道理として考えれば、世界の誰だって100%の肯定や否定は出来ないはず。

現代と昔では選択肢の数が違う

石の上にも三年という言葉が生まれた当時や、数十年前に比べれば現代社会にあまねく娯楽や自由の種類は比べ物にならないぐらい豊富になっているわけで。
昔は自分の進むレールというのは一つ、多くて二つ三つが当たり前の時代。
今取り組んでいる分野を捨てたところで他に進める道はそうない、そんな時代においては、自身を奮い立たせるために非常に効果的な格言だったんだと思う。
当時はSNSなんて無くて閉じたコミュニテイだったから他者と自分を比べるのにも限界があって、未知の可能性に目を向ける機会、ましてや余裕も少なかっただろうし。

かたや今はというと、自分が進むレールから外れたとしてもまた別のレールが無数に存在している世の中。
そんな現代社会において、「石の上にも三年」という言葉を額面通り受け取ってしまった場合、本当に本人が満足出来るような環境や経験を得ることが出来るかは怪しいと思う。
世界の誰とでも繋がることのできるオープンコミュニティにアクセス出来るこの世の中で、未知の可能性に目を向けない人なんてそうそういないので。
そういった時代で無責任に「石の上にも三年だから」というのは正直ナンセンス。
自分にとって居心地の良い石でも、それが他者にとって同じであるとは限らないわけでね。
この言葉を最初に言った当時の人々が、他者の選択を否定するために使うのではなく、他者の選んだ道を応援するために使った事を祈る

自分の人生の評価者は自分

つらつらと色々書き殴っていったけど、これは決して、すぐに環境を鞍替えする事を全肯定しているわけではない。
要は「本人の心の在り方」が大事だという話。

自分が歩んできた道を、そこで得た経験を、今の自分としてあれは良かったなと肯定することが出来るのかどうか。
他者が下す評価というのはあくまで他者目線であり、自分の人生の一部しか見ることが出来ない上での評価に過ぎないので。
「人生」のような漠然としたただ一つの正解というのが存在しない概念に答えを出せるのは当事者のみということは忘れない方が良いと思います。
「あの時こんな事をしていれば今頃こんな未来があったのかな?」
こんなことを思うのは人として当たり前で恥ずべき事でも何でもなくて。
だけれども、今の自分を肯定するかどうかはまた別の話で、それを決めるのは自分自身であることは忘れない方が良いと思います。

石の上にも三年
どの石を選ぶのか
その石に本当に座り続けても良い、あるいは試してみても良いと思えるか
その過程や未来で得たものを肯定出来るような心の在り方が出来るか

そういった人生について深く考えられるこの格言を、ただポストイットを言いたいだけに利用するような中身のないことはしないような、身をぶりんぶりんに詰めた伊勢海老のような実りある使い方が出来る人間になりたいと思ったのでした。

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